>> TREND-ANTIQUE >> [ * La Musica moderna al Palazzo d'Inncichi ]
ここでは、イッンチーキ宮廷における21世紀初頭の音楽受容について、当時の報告や論説など、貴重な歴史的資料を収集しています。
当然ですが、作曲家や演奏家やプロデューサーのクオリティは、彼らのキャリアの中で、一定ではなく、常に変化していきます。しかし私たちは、ともすれば、彼らの過去の成功をもとに、他の作品の評価をねじ曲げてしまいがちです。
最も起こりがちなケースは、高いクオリティを維持しつつ、じりじりと下がってくる、というものです。センセーショナルな成功の後、多くの賞賛の言葉の中で、流石と言うべき仕上がりを見せつつも、次第に良さが鈍るのです。
というのも、人には常に、活躍すべき・活躍し得る、一定の状況というのか、歴史的なタイミングがあるからです。それは、単に外的状況ではなく、むしろ心理的な心構え、に強く影響します。
このところ感じられるのは、特に演奏家に関してです。果たして、ルセ氏やニケ氏、アレッサンドリーニ氏といった人たちは、彼らが不完全ながらも最も輝いていた時期を超える制作を、送り出すことが出来るのでしょうか。
次のグリゼルダの出来次第では、スピノージ氏の時代はほとんど去ってしまった、と断定できるかもしれませんし、レオンハルト氏が遺作ともなるべき作品を世に送り出しても、何十年も前の制作のインパクトを期待することは出来ません。
一方、センセーショナルな成功の後、低俗といえるまでのクオリティに堕ちた2人の音楽家、ビオンディ氏とクリスティ氏は、virginでの一連の制作と、ボレアードの成功により、多少なりとも新しい展望を切り開くことに成功しています。
とはいえ今は、ダントーネ氏やレツボール氏、インヴェルニッツィ氏やピオー氏らの時代だと言えます。
ある音楽家の姿勢とスタイル、過去の名作をとても気に入っていたとしても、出来の今ひとつな新作に、あいまいな好評と賞賛を送るべきではありません。多少の駄作を、なあなあに受け入れるとすれば、そこには、倦怠と曖昧の空気が立ちこめることになるでしょう。